太宰治1

太宰治生誕100年:新春座談会/上

http://mainichi.jp/enta/art/news/20090105dde018040024000c.html

 安藤宏さん 太宰治の初期の文体に「自意識過剰の饒舌(じょうぜつ)体」というのがあって、ある時期すっかりはまっていたことがありました。『晩年』には『道化の華』という小説があって、語り手が小説の進行を注釈していく。ノートにやみくもに書き写したりしていました。内容自体ではなくて、内容を伝える表情や身ぶり、含羞(がんしゅう)、てらい、そういったものにとっても惹(ひ)かれたんです。

「自意識過剰の饒舌体」面白い。

 川上未映子さん 太宰を読んだとき、何がそこで語られていたかを全く忘れるくらい、語られ方に興味があったんです。物語がどうやって語りによって解体されていくのかに興奮した。『新ハムレット』や『女の決闘』の作り込まれた手腕に興奮しながら、『待つ』や『古典風』には短さ。この短さでこれだけの読後感を与えることができることに、すごく私は詩的なものを感じます。全部に共通ですが、最後の一行が抜群です。

語りで、惹きこむ。

 安藤 青春のはしかだと言われていたけど大人が読んでおもしろい。小説の作り方や技に評価のポイントが移っていますね。

「青春のはしか」?

 斎藤 太宰は精神科医でも好きな人が多いんですが、典型的な「ボーダーラインパーソナリティー」なんです。これは簡単に言えば、その人の価値基準が白か黒かはっきり分かれすぎていて、グレーゾーンがない。自分の敵と味方の区別をはっきり分けていく手つきで、独特のワールドを作っていく。生き方自体も心中未遂を繰り返したり対人関係が不安定、一番典型的なのは、何を書いてもメタフィクションになるところです。どんな閉じた虚構の世界でも作家が顔を出している。読者は、作家と作品のどちらに惹かれているのか分からなくなる。


 川上 でもフィクションは逃れられなくて、読者は分かっているんだけど、作品を私小説的に、必要以上に読みこんでしまって熱狂的になってしまう。ちょっとでも本当に近いものを求めているのかもしれない。


 斎藤 どこを切っても太宰と分かってしまう強烈な文体だから、作家自体への興味が必然的に喚起されてしまう。精神分析でいう転移が起こるんです。転移した人は作家を全知の存在のようにあがめたててしまう。すべてを把握したいという欲望が出て、作品は全部プライベートの情報になる。


 川上 読者は作品からさらに作家を通して、何を見るんでしょう。


 斎藤 結局作家に投影された自分になるんだけど、本人としては作家への愛と錯覚する。


 安藤 よく言われますが、本当に太宰のことを分かっているのは自分だけだ、というのが共通の現象になるわけですね。


 斎藤 はしか的な読み方に近いですね。

境界性人格、魅力
精神分析の「移転」?

 斎藤 世界の文学でいうと、一番太宰に近いのはサリンジャーだと思うんです。自分の感性だけで敵と味方を切り分けていく饒舌な語り口など、作品に表出された感性は、結構近いところがある。


 川上 『ライ麦畑でつかまえて』に関しては、私は読者としても、同じ印象です。10代で『ライ麦』を読んだときはそんなにおもしろくなかったんですが、20代後半とかでもう一度読むと、そこにある地獄がよく見えます。両作品とも読者のやられ方に共通するところがありますね。


 斎藤 10代のはまり方というかね。日本語訳の問題もありますが、あの語りは僕と君のような2者関係に引きずり込んでしまう。自分だけに語りかけていると感じさせる密室的な感覚が近い。


 川上 それで最後にはゼロか100か、内容より生き様も含めてその作家が好きか嫌いかという評価になってしまいます。

サリンジャー」作品チェック。

■人物略歴
◇あんどう・ひろし
 1958年生まれ。太宰治の文体を中心に、日本近代小説の表現について研究。著書に『自意識の昭和文学』『太宰治 弱さを演じるということ』。
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■人物略歴
◇かわかみ・みえこ
 1976年生まれ。02年、歌手デビュー。詩人、作家、女優としても活躍し、著書に『わたくし率イン歯ー、または世界』など。08年の『乳と卵』で芥川賞

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■人物略歴
◇さいとう・たまき
 1961年生まれ。筑波大大学院博士課程修了。爽風会佐々木病院診療部長。著書に『心理学化する社会』『文学の断層』『母は娘の人生を支配する』など。


毎日新聞 2009年1月5日 東京夕刊