いつか自分の見解を言えるように

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福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった[絵文録ことのは]2011/03/18
http://www.kotono8.com/2011/03/18futaba.html
最後を引用

以上の流れをもう少し簡単にまとめると、「12日、なぜか双葉病院は避難済みと誤解されていて救援が来ない」→「それが判明して大型バス5台が派遣されるが、寝たきりや車いすの患者が乗れない」→「職員含めかなり残される」→「14日、自衛隊が来るが、全員は搬送できず、一旦戻る」→「2度目の救援が来ない」→「一緒に残っていた警察の指示で職員が川内村に避難」→「自衛隊と一緒に病院に戻ろうとする」→「避難地域なので一緒に行けない」→「自衛隊だけが救援に」→「2・3回目の搬送の際、病院関係者は誰も現場に居なかった」→「職員が患者置き去りで逃げたと報道」という流れになる。

これでは「職員が患者を見捨てて逃げた」とは絶対に言えない(警察の指示でやむなく避難させられたのであって、再び)。こんな報道をされたら、一生懸命がんばっていた職員に対する名誉毀損にしかならないと思う。

このような報道被害が繰り返されないよう強く願う。


上記を受けて、


「患者さんを見捨てて逃げた」というのは誤報 - 琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110318#p1
全文引用(僕が勝手に区切っているだけ)

参考リンク:福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・患者は患者を見捨てたりしていなかった - 絵文録ことのは - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース


この「医師・職員が患者を見捨てて逃げた病院」のニュースは、昨日、twitterでいろんな人がリツイートして広めていました。


僕は「本当なのかそれ?」と信じがたい気持ちでいたのですが、ようやく「事実」がわかってきたようです。


双葉病院の医師・職員・そして他の患者さんたちは、けっして「患者を見捨てた」わけじゃなかった。

詳しい経緯は、参考リンクをぜひ読んでいただきたいのですが、もしあなたが同じ立場だったら、「それでも病院に残る」と言えますか?


退避を促されても誰かがその場に残ることを強行に主張すれば、全員の退避が遅れてしまう可能性もあります。


正直、僕も「見捨てたんじゃなくてよかった」と安心しています。


ただ、その一方で、あらためて考えてみると、「いまの日本の社会は、あんな極限状態でも、医療者に『殉死』を求めているのだろうか?と考えずにはいられませんでした。


それって、太平洋戦争の末期に「乗組員は船と運命をともにせよ」と言っていた大本営と同じなんじゃない?

今回のような天災の際に、ある病院に津波が迫ってきていて、医者と身動きのとれない患者さんがいるとします。


その場合、医者が「患者さんを見捨てて逃げる」ことは、許されるのか?


傍観者からみれば、「患者さんと運命をともにして、波にのまれる」ほうが美しいし、「道徳的」なのでしょう。


でも、その患者さんが逃げられない状態であれば、断腸の思いであっても、自分は逃げて、避難するべき場合もあるのではないでしょうか。


ひとりの医者が「殉死」せずに、生き残って避難所にたどり着くことによって、避難所で救われる命だってあるかもしれません。


そもそも、今回の未曾有の大災害では、多くの人が、「自分が守らなければならなかった人」の手を離さざるをえない状況に追い込まれました。


目の前で身内が津波に呑まれていった人に、あなたは、「お前はなんで一緒に流されなかったの?」と言うのでしょうか?


「みんなが助かる」道があれば、誰でもそうします。


「選びたくない選択肢の、どちらかを選ばざるをえない状態に陥った人々」を、なんでそんなに簡単に責められるのか?


みんなに希望を与えるようなツイートなら、いくらでもリツイートすればいいよ。


でも、不確かな情報をもとに、わかりやすい「悪人」を生み出して、快哉を叫ぶようなニュースをホイホイとリツイートするような輩は、あなたたちが「信じられない」といつも言っている「マスゴミ」と同じだとしか僕には思えない。


 twitterが「個人による情報発信ツール」であるとするならば、ひとりひとりの利用者も、少しは自分の「責任」について考えてもらいたい。


 あなたが、マスメディアに対して求めている「モラル」や「責任」の何万分の1でもいいから。

こんな誹謗中傷をさんざん広めておいて、誤報を謝罪するマスコミもtwitterユーザーもほとんどいないのが実情です。


マスメディアの多くは、元記事を消してしらんぷり。


リツイートした人たちも、みんな「自分たちも騙されただけ」と被害者面。


医者には、医者の「責任」がある。それは間違いありません。


そして、この「誤報」の他には、いまのところ「患者さんを置いて病院のスタッフが逃げた事例」を僕はひとつも知りません。


それって、「すごいこと」だと思いませんか?

もちろん、それは医者だけじゃない。


役場の人たちも、自衛隊員たちも、アメリカ軍の人たちも、東電の人たちも、交通機関を支えている人たちも、「みんなのため」に踏みとどまっているんですよ。


停電でネットができなくても我慢している人たちだって。


被災した人たちの「闘い」には及ばないとしても、みんな、頑張っているのです。


それは、けっして、傍観者が考えているような「あたりまえのこと」じゃないはずです。


「悪者」を捜して叩く暇があったら、目の前の「踏ん張っている素晴らしい普通の人たち」を応援してあげてください。

医者って仕事をやっていると、眠れない当直とかでつらい夜があるんです。


それでも、「みんなはそれが当たり前のこと」だと思い込んでいて、完璧な仕事が求められる。


一睡もせずに働いているのに「なんでこんなに待たされるんだ!」と罵声を浴びせられたりして。


ときどき僕は、いたたまれない気持ちになってしまうのです。


そんなときに、僕は何度も、患者さんの「こんな遅い時間に診ていただいて、ありがとうございます」という言葉に救われました。


人をいちばん勇気づけられるのは、お金でも、名誉でもなく、やっぱり、人だと思う。


だから、何度でも言います。


みんな、本当にありがとう。


みんなの頑張りは、きっと、日本の、人類の、そして子どもたちの未来につながると信じています。


いや、きっとつなげてみせる。


ブロガーの鏡……見習いたい……
僕はこんなこと思っても書いて、公開できない。
日々を間違って生きているから。
色々、間違えたことも書くから。
責任がないから。
何が正しいという自分の軸がないから。


報道は叩く系が好きだと思う。
権威とかに対抗する、歯向かう、そういう存在だと思うから。
記者は医者を権威だと思っているのだろう。
あとは警察とか、先生とか、政治家とか、


彼らから、上から物を言われているように感じるのだろう。
それが気に入らないのだろう。
何か一つでも欠陥を見つけたら、えぐり広げたいのだろう。
「いつもいつも上から言ってるくせによ〜、んだ、そのざまは、てめ〜も間違ったことしてんじゃねぇかよ」
誇張してるけど、そんな感じ。
そういう記事を喜んで読む人もそう。


彼らがどれだけの仕事をしているか、想像しないのだろう。
というか想像しないようにしているのだろう。
想像しちゃうと、同じ人間なんだなと、苦労もあるんだろうなと意識して、叩けなくなるから。
報道は叩くのが仕事ではないと思うけど。


こういう報道を、上の人叩きをなぜするのか?
自分が嫌いなのだと思う。


大きな責任を背負って、使命感をもって、誇りをもった仕事を羨ましく思っている。
そういう仕事について、人の役に立っている人に憧れをもっている。


それなのに、自分はこんな仕事……悔しい悔しい……


これも大げさな書き方だけど、そんな風に感じているのではないだろうか。
その悔しさは自分に向けているものなのに。
彼らのミスを見つけると、その鬱憤をさらけ出してしまう。


僕はそう思ってる。


自分は彼らより努力してないし、勉強もしてないし、苦労もしていない。そんな自分が何を言う。無責任だ。


……そうなんだよ。
責任がないんだよ。
自分は生きて働いても、そんなに褒められないんだよ。
多分、休んでもそんなに変わらないんだ。代わりの人が来て終了。


けど、そんな褒められもしない仕事をしてでも、生きている自分。惨め、悔しい、醜い……。


ただ、そういう人生を選んだのは自分。
そこで満足する方法、達成感、別の趣味……何でもいいから、生きがいを見出すしかない。
それを理解して、色々行動するだけ。


鬱憤晴らしは、酒の場で。
愚痴を言い合ったりするのは良いじゃないか。
ただ、仲間内とか酒の場とかが好ましいね。
記録に残らない場所。
周りも、そうやって人の悪口を言っている人を見つけても「苦労してるんだろうな」と思ってそっとしておいて。


twitterは微妙な場所。
タイムラインに乗って流れていく、簡易チャットのようであり、過ぎた話を水に流しても良いと思う一方、
tweetはweb上に残っているので、ふとしたときに意図せずに誰かが見つけてしまって、不快に思ったり、拾ってきて蒸し返すこともありえる。


人間、想像力が豊かだから。
自分が見たその文字情報だけで、想像を働かせてしまって、怒れる。


何か聞いても、それをどう受け取るかは、その人次第。
切り取って、自分の枠で調理する。
自分の意思を反映してしまう。
反映させようとする。


ぼけっと流して見てたニコニコ動画の最後に言ってた気がする。
情報は切り取られてしまう。
恣意的に。


自分で判断するしかない。
判断するには、様々な情報が大事。
あと、実感を持った知識を身につけると良いかもしれない。
自分の確かな経験に基づいた、判断。
あのときどうした。
このときどうした。


過ぎ行く日々と思ったら勿体無い。
何かしら、別に応用できそうなものを探してみたり、改善できないか考えてみたり、そう思うことが大事。
今からでも遅くない(と思いたい。自己暗示)


この文章もそう。
僕はこういう視点で物事を捉えているのだと。今、こういうことが語りたいのだと。自分自分の方へ、ひきつけて書いてしまった。思い入れが深いものこそ。


思い入れがないと冷静に字面だけを受け取って終わりのこともある。

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この記事を読んで「僕も同意だ!!」とメモして終わるつもりだったのに。


人の言葉をきっかけに、人の言葉を借りて、自分の主張を始める。スタートはその人の言葉なので、俺の責任は軽い……そんなことはない。


人に乗っかり続けるのも一つの選択。
速報記者なんかは、正確に忠実に、人の意見を広めるので良いと思う。それが仕事だから。いち早く知りたいという人に知らせるのが仕事だから。


それでも、責任がないわけではなかろう。
一般人は、速報記者じゃない。
だからって、責任がないわけじゃない。
てか、一般人だからこそ、そんな真似事はやめるべき。


友達と共有したい、コミュニケーションしたいのだったら、「あ、あれデマだったらしい。だごめんよ」と伝えるだろう。


記者には記者の事情があるだろう。
謝っていないと書いてあったけど、謝っていたかもしれない。見つけられていないだけかもしれない。

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僕は、もう少し、自分を出せるようにしないとな。
ただ、正しい知識を仕入れることが大事。
自分で考えて発言するのは褒められることだろうけど、未熟な、無知で喚いても、むなしいだけ。
すぐにアクセス可能で吸収できる知識は入れよう。
その上で、自分の意見を出す。
責任をもって。

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想像し過ぎ、思いやりすぎ、優しすぎ、そんなのを目指そうかな。
まぁもうどんな人も探せば飽和しているだろうけど。
責める人も沢山いる。面白い人も沢山いる。


今の僕は、批評家か観察者気取りで、物静かにネットを見つめているだけの暇人。


情報発信の立場に立つとしたら、良いことを発見しよう。
褒めよう。良い所見つけて、沢山褒めよう。
何様でもいいから評価する人がいい。
想像できる限りの人の立場を考えて。


それだけの余裕を作ろう。

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戻って。


とりあえず、発言しないで黙ってる日本人や、知らない日本人が多い。twitter上はあくまでtwitter上。見てない人にも伝えだしたら、影響はでかいのだけど。
煽る人は普通にいる。それぐらいの認識で良い。


自分の命を大切に、第一に。
それが普通の人で。
時に家族や恋人は自分と同じかそれ以上に大事。
けど、そうじゃない人もいる。
間違いとか、悪とかではない。
そういう人もいるそれだけのこと。


他人のために命を張れるのは、それを仕事としている人だけ。その人たちはすげぇ。毎日すげぇ。
いざというときぐらい、自分の命を守れと思うけど、
いざというときも、自分の命を優先できないくらいに、仕事に命をかけてくれている。
尊敬する。


日本人の多くはそうかな。本当に責任感強い。
一部の人が、正義とは思えない行動をとったとしても、そりゃ人間そういう人もいるだろう。


行き過ぎてれば法が裁くよ。
行き過ぎてなければ、良いよ。
そう考えておくと、イライラはしない。楽。


世界は変わらない。
その片隅に住まわせておくれ。


なんて、強がってみたり。