ブログの存在意義、再考
twitter/mixivoice(以下、短文広報)が出てきて、認知されて、広く使われてきて、ブログ/mixi日記(以下、中文広報)がそれまで行ってきた、「近況報告」などは、適度な短文広報にとって代わられた。
短文広報は、ひとつひとつが短い。まとまった情報は知らせられない/見られないけど、少しずつ隙間時間に見られる。皆の日常を少しずつ知ることができる、目に入る。
これまで中文広報で何を行ってきたか。
旅行報告。イベント報告。日常の中のちょっとした面白いこと、悲しいこと、怒ったこと、話したいこと、共有したいこと。独り言。短編小説。ニュース速報。ありとあらゆる文字や写真でできる伝達。
ほとんどは短文広報でも可能。
例えば、イベント報告は、短文広報によって、実況したり話題を共有すれば、わざわざ中文広報にする必要もない。
作家とかコラムニスト、エッセイストとか、職業執筆者しかまとまった文章を書く機会はない。学者や学生、情報記者や編集者も職業柄そう。ビジネスマンは報告書や企画書ぐらいだろう。
共有したい、書きたい、話したい。
仕事帰りの飲み屋で同僚と、家に帰って家族と、ヨガ教室で仲間と、休日に旧友と、野球場で周りのファンと……話す機会があれば短文広報も中文広報もいらない。
話す機会が少ない人には、中文広報、短文広報はうってつけ。特に短文広報は短くても良いから気軽にできる。
中文広報の役割は何か。
議題を提示すること。話題を提示して、議論の場や機会を提供すること。それが大きいと思う。
何か先に話題やテーマがあると話しやすい、そこに入りやすい。それについてどう思う。なぜそう考えたか。他に関連していることは。証拠はどこだ。僕はこう考えるけど……
短文広報によって、何でも共有して議論できるようになった。中文広報で生き残って行くには、そのブロガー独特の視点で、切れ味ある内容で勝負する。
何かしら専門がある、強みがあるなら「まとめ系」の中文広報ができる。まとめ系は需要がある。
短文広報によって文章がバラバラに散らばっている。それをまとめた中文広報は良いと思う。togetterとか。
自分の考え方を提示して、人を引きつけるブロガー達。彼らが書くこと、それ自体が話題の提供となる。
それは一部の盛り上がり、閉じた世界かもしれない。ただ、鶏口牛後を目指す人にとっては魅力的。僕もそんな一人。
「でっかく生きろよ男なら」……なかなか難しいです。